5分で理解する!芥川龍之介「杜子春」のあらすじと感想まとめ

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芥川龍之介の作品の中でも、私は「杜子春」が気に入っています。手元において、何度も読み返しているのですが、読むたびに「その通りだなぁ」と感じる物語です。短い話ですが、誰しもが共感できるテーマで書かれており、「幸せって何なんだろう」と考えさせられるのです。

今回はそんな芥川龍之介の「杜子春」のあらすじと感想、解釈のポイントを簡単にまとめてみました。あわせて物語の背景もまとめているので、ぜひ参考にしてくださいね。

杜子春の登場人物・舞台背景

物語の舞台は唐の都、洛陽。当時の洛陽はシルクロードを構成する大都市であり、商店にはトルコなど西方の品物も並んで、往来には多種多様な人々があふれる、実に活気に満ちたところでした。

さて、この物語の主な登場人物は2人です。

一人目は主人公の杜子春。元々は裕福な家庭の子供ですが、お金を使い果たして途方に暮れていました。謎の老人に出会ったことをきっかけに、大金持ちになります。

二人目は謎の老人杜子春に2度大量の財宝を与え、たちまち大金持ちにしてしまう謎の男です。のちに「鉄冠子」という名の仙人であることが判明します。

杜子春」というのは中国の小説をもとにして、芥川が創作した物語です。しかし、もとの小説とは内容がかなり異なっており、芥川自身も「3分の2以上が創作」だと述べています。芥川の「杜子春」は児童向けに書かれたものなので、子供に配慮した内容に変えたのでしょう。

杜子春のあらすじ

日暮れに差し掛かったころ、杜子春という男が洛陽の門前で途方に暮れていた。栄華を極める都とは裏腹に、男はその日暮らしも困るほどの身に落ちていた。空を仰ぎながらぼんやり物思いにふけっていると、声をかけてくる老人がある。

思わず身の上を打ち明けると、老人は「夕日の中に立って、お前の影の頭の部分を掘ってみろ。そうすれば黄金がでてくるぞ。」と言う。いつの間にか消えた老人を不思議に思いつつも、杜子春は老人の言葉通り大金持ちになったのだった。

金を手に入れた杜子春は毎日ぜいたくの限りを尽くし、皇帝もかくやというほど遊びまわった。しかし、いつの間にか金は底をつき、友人も彼から離れていく。

 再び洛陽の門で途方に暮れていると、あの老人が声をかけてくるではないか。先と同じ返答をする杜子春に、老人はまた黄金のありかを教える。だが、またしても杜子春はおびただしい金を使い果たしてしまうのだった。

3度、杜子春が洛陽の門前でたたずんでいると、やはり老人が声をかけてきた。再び黄金を指し示す老人に、杜子春は首を振って応える。人間に嫌気をおこした杜子春は、老人に弟子入りを志願する。そう、老人はただびとではない、仙人だったのだ。

老人に連れられ、峨眉山で仙人の修行を始めた杜子春。「何があっても一言もしゃべらなければ仙人にしてやろう」と言われた彼の前には、様々な幻覚が立ち現れる。仙人になるため、稲妻に打たれても、神将の槍に突かれても彼は決して口を開かない。

地獄のエンマ大王の前に引きずり出されても黙り込む杜子春。しかし、馬の姿となった父と母が連れてこられ、目の前でむち打たれると動揺を隠せない。「私たちのことは良いから幸せになりなさい」という母の声を聞いた杜子春は、思わず「お母さん」と叫んでしまった。

仙人の修行は失敗したが、人間らしさを守れたことに杜子春は喜びを感じていた。それを見た老人は愉快そうに、1軒の家と畑を与えて彼のもとを立ち去るのだった。

杜子春の解説と感想

物語のあらすじを理解できたところで、作品の解釈をより深めていきたいと思います。今回は4つの観点から「杜子春」の解説をまとめてみました。主人公の杜子春に注目して紹介していきます。

杜子春はなぜ仙人になろうとした?

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まずは、どうして杜子春は仙人になろうとしたのかという点から考察していきましょう。杜子春は3度目に老人に会った時に、「仙人にしてくれ」と頼み込みます。

それ以前の彼なら黄金をもらって満足していたのですが、どうしてそんな心境になったのでしょうか。本文でその部分を確認してみると、

「何、贅沢に飽きたのじゃありません。人間というものに愛想がつきたのです。」

人間は皆薄情です。私が大金持になった時には、世辞も追従しようもしますけれど、一旦貧乏になって御覧なさい。やさしい顔さえもして見せはしません。

そんなことを考えると、たといもう一度大金持になった所が、何にもならないような気がするのです。」

このように杜子春は語っていますね。老人のおかげで2度大金持ちの暮らしをした杜子春ですが、金がなくなると友達は離れていきました。

誰しも「金さえあれば幸せになれる」と考えていますが、金は人間の残酷な側面も浮き彫りにします。「金の切れ目が縁の切れ目」とも言われますが、いい顔をしていた人も金がなくなると途端に冷たくなります。それに杜子春は気づいたということですね。

金があれば結局不幸になるかもしれない。しかし、だからといって貧乏暮らしのひもじさも耐えることはできません。なので、杜子春金に振り回されることのない仙人という生き方にあこがれたのです。

②どうして修行を中断したの?

人間に愛想が尽きた杜子春は、老人の言いつけを守り、何が起きても一言も言葉を発しませんでした。しかし、父と母がムチ打たれる姿にこらえることはできず、「お母さん」と叫んでしまいます。この部分を本文で確認してみましょう。

「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何とおっしゃっても、言いたくないことは黙っておいで。」

 それは確に懐しい、母親の声に違いありません。杜子春は思わず、眼をあきました。そうして馬の1匹が、力なく地上に倒れたまま、悲しそうに彼の顔へ、じっと眼をやっているのを見ました。

母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思いやって、鬼どもの鞭に打たれたことを、怨む気色さえも見せないのです。大金持になれば御世辞を言い、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、何という有難い志でしょう。何という健気な決心でしょう。

杜子春は老人の戒めも忘れて、転ぶようにその側へ走りよると、両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落しながら、「お母さん。」と一声を叫びました。

ムチで打たれるのを見ていられない気持ちもありましたが、それより強かったのは「親のありがたさ」を感じていたことでした。世間の人はお金を持っているか、持っていないかで杜子春に寄ってきたり、離れて行ったりします。

しかし、親は自分が苦しい目にあっても、そんなことは気にもせずに自分の幸せ一つを念じてくれている。親心の有難さが杜子春の心を打ち、思わず言葉が口をついて出たのです。

③仙人になれなくても嬉しい?

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老人の言いつけを守れなかった杜子春は仙人にはなれませんでした。ですが、このように語っています。

「なれません。なれませんが、しかし私はなれなかったことも、反って嬉しい気がするのです。」

これに対して老人は以下のように続けます。

「もしお前が黙っていたら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ。――お前はもう仙人になりたいという望も持っていまい。大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。ではお前はこれから後、何になったら好いと思うな。」

この老人の問いかけに対して、杜子春は「人間らしい、正直な暮らし」をするのだと晴れ晴れとした様子で答えます。老人は杜子春の返答に満足して、1軒の家と畑を与えて立ち去り、物語は終わります。

さて、杜子春は仙人になれなかったことをうれしく思い、人間らしい正直な暮らしをすると言っていますが、これは一体どういうことでしょうか。本文全体の流れをまとめて、くわしく考察してみましょう。

④この物語が伝えたいことは

杜子春」という話は何を伝えていたのか、最後に整理しておきましょう。一言でいえば、「本当の幸福とは何か」がこの話のテーマだと思います。

最初はお金さえあれば幸せになれると思っていた杜子春ですが、お金持ちになってみると人間の薄情さに絶望しました。貧乏も嫌ですが、かといってお金で幸せになれないと気付いた杜子春は、金を超越した仙人の暮らしに憧れました。

しかし、仙人の暮らしというのは「人間らしさ」を全て捨て去ってしまった生活です。実際、老人の様子を振り返ってみると、杜子春を導いているように見えて、実際は気まぐれで彼の様子を楽しんでいるだけにも見えます。

「人間らしさ」というのが何なのかは本文中で明言されていませんが、「他者への思いやり」や「」と言い換えることができると思います。つまり、仙人になるには他者への思いやりを捨てる必要があるということです。

ですが、父母の様子を見て、そんなことはできないと杜子春は悟りました。思いやりをもつことが本当の幸せにつながっていると感じたのでしょう。

だから、「仙人になれなかったことがかえってうれしい」と彼は感じました。そして「人間らしい、正直な暮らし」をすると晴れ晴れと宣言しているのです。

このように、思いやりにあふれた人生こそ本当の幸せだと芥川は伝えているのだと思います。

書評・総合評価

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  • おもしろさ★★★★
  • よみやすさ★★★★ 

芥川龍之介杜子春」を評価すると上記のようになりました。これも短編小説であり、読みやすい作品です。児童向けに書かれたものですが、大人が読めば実感としてわかる部分が多いと思います。例えば「人間というものに愛想が尽きた」という杜子春の発言に深くうなずく人は多いのではないでしょうか。

 「なぜ杜子春は仙人を目指し、仙人になれなくても満足しているのか」という物語の流れは、よく整理しないと分からないかもしれませんね。杜子春の姿に自分を重ねて読むことができれば、より物語を楽しむことができるでしょう。

おわりに

今回は「杜子春」のあらすじや解釈、感想のまとめでした。この作品は児童向けの小説ながら、大人にも考えさせる重要なテーマを持っています。

私たちも杜子春のようにお金ばかりを求めてしまいがちですが、大切なものはほかにあるのではないでしょうか。短く、すぐに読める作品なのでこれを機にぜひもう一度読んでみてくださいね。

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