芥川龍之介「鼻」のあらすじと感想をカンタンに紹介!

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芥川龍之介の短編小説の中でも特に味わい深いのが「鼻」という小説です。

彼の本を読むたびに、「人間の心理を描くのが本当にうまいな…」と感じますが、この小説も私たちの共感を引き起こします。

今回は芥川の「鼻」のあらすじと解釈、感想をわかりやすくまとめてみました。

どんな物語で、何が深いのかを一緒にみていきましょう。

 

「鼻」の登場人物と背景

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「鼻」という作品は「今昔物語」と「宇治拾遺物語」を下敷きにし、深いテーマを描いています。

この小説が書かれたのは芥川が25歳のとき。

当時、芥川は夏目漱石の門下に入っていたのですが、師匠の漱石からも「鼻」は大絶賛されました。

 

自分の尊敬する夏目漱石から褒められ、自信もついた芥川はこの後「蜘蛛の糸」など代表作品を世に送り出していきます。

そう考えると、「鼻」という作品がなければ芥川はここまで有名になっていなかったかもしれませんね。

 

「鼻」に登場する主な人物は、池の尾の内供という僧侶です。

「池の尾」とは今でいう京都府宇治市あたりのことを指しています。

「内供」というのは、天皇に仕え仏教を講釈したりする僧侶のことで、例えば有名な最澄もこの職に就いていますね。

 

このように内供は偉い僧侶だったのですが、自分の大きな鼻が悩みでした。

それを何とかしようと試みる、彼の心境を描いたのが「鼻」という小説です。

 

 

「鼻」のあらすじ

池の尾の内供はその長い鼻で有名である。

唇の上から顎の下まで垂れさがっている彼の鼻を、池の尾で知らない者はいなかった。

 

内供にとって長い鼻は生活上不便で、他の人と比べても自尊心を傷つけられるばかり。

自分でもなんとか短くならないかと色々試してみたが、何の効果もなく途方に暮れるばかりであった。

 

あるとき、弟子の一人が都で「鼻を短くする方法」を教わってきた。

その方法というのはお湯で鼻をゆでて、人に踏ませるという単純なもの。

弟子の言う通りに鼻をゆで、踏んでもらい、出てきた油を抜くと、長かった鼻は嘘のように縮んでしまった。

 

悩みが解消され、晴れ晴れとした気分の内供であったが、自分の顔をみて人々が笑っているのに気が付いた。

どうやら、見慣れない短い鼻が面白おかしいという理由だけではないらしい。

人々は、内供の鼻が普通になったのを見て、何となく物足りないような気持ちを感じているようだ。

 

人々の勝手さに腹を立てる内供であったが、ある日目を覚ますと鼻は元の長さに戻っていた。

「これでもう笑うものは誰もいない」と、内供はかえって喜ぶのであった。

 

「鼻」の解釈と感想

あらすじを押さえたうえで、次は物語の解釈を深めていきましょう。

今回は2つのポイントに絞って、「鼻」の解説と感想を紹介していきます。

 

①なぜ短くなった鼻を人々は笑ったのか

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まず気になるのは「どうして普通の鼻になったのに内供は笑われていたのか」という点ですね。

元々、内供は長い鼻を笑われていたのですから、それが普通のサイズになれば笑われることもなくなるように思えます。

 

もちろん、作中でも語られるように、以前の鼻とのギャップで笑ってしまうことはありえますが、どうやらそれだけではないと内供は考えています。

 

鼻の長かった昔とは、笑うのにどことなく容子がちがう。

見慣れた長い鼻より、見慣れない短い鼻の方が滑稽に見えると言えば、それまでである。が、そこにはまだ何かあるらしい。

 

そして、地の文ではこのような分析が加えられています。

 

人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。

ところがその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。

少し誇張して言えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。

 

何か不幸に見舞われている人を見ると、気の毒に思うのが人間の常です。

しかし、相手が幸せそうにしているのを見ると、途端に面白くないような気持になります。

他人の不幸は蜜の味」とも言われますが、私たちには人の不幸を喜ぶ気持ちが確かにあるのです。

 

内供の周りの人たちも、鼻が短くなり喜んでいる内供をみて、なんだかおもしろくない気持ちになったのでしょう。

だから、内供のことを小ばかにするように笑っていたのです。

 

②再び鼻が長くなった後は?

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この話を読んだ後にふと思ったのは、「この後いったい内供はどうなったのだろう」ということでした。

物語は再び鼻が長くなり、「これでもう笑われることはない」と安心している場面で終わってハッピーエンドのようにも思えますが、本当にそうなのかなと感じたのです。

 

よく考えてみると、内供の鼻はもとの長いものに戻っただけで何の状況も変わってないのです。

元々内供は周りの人から長い鼻を笑われていました。

ということは、また「鼻が長い」と人々から笑われることになるはずです。

 

もちろん、先ほども見てきたように「長い鼻を笑われる」のと「短い鼻を笑われる」のではその性質が少し異なります。

長い鼻を笑う人々は、ただ「普通とは違う鼻が単におかしくて」笑っているのに対して、短い鼻を笑うのは「内供の幸せが面白くなく小ばかにするように」笑っているのです。

 

そういう点から言えば、長い鼻を笑われていた方がまだマシなのかもしれません。

 

でも、元々内供はどのように考えていたでしょうか。

彼は自分の長い鼻を笑われるのがとても嫌だったのです。

 

再び周囲の人々から鼻を笑われれば、「やっぱり短いほうがよかったな…」と内供は感じるような気がします。

そうなると、どうなっても内供が本当に心安らぐことはないんですよね。

改めて読んで、よく考えてみるとモヤモヤとする話だと思いました。

 

書評・総合評価

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  • おもしろさ★★★★
  • よみやすさ★★★★

 

芥川龍之介の「鼻」を評価すると上記のようになりました。

芥川の小説はどれもそうなのですが、短いので非常に読みやすいです。

 

また、「鼻」は内供の心情が共感しやすい作品ですね。

例えば、長い鼻を何とか短く見える角度はないか試行錯誤する様子や、弟子の申し出にすぐには飛びつかず、あえて提案されるのを待つ姿は、「自分もこんなことあるな…」と思います。

 

題材は「今昔物語」や「宇治拾遺物語」なのでだいぶ昔の話なのですが、現代でも変わらずに通用する内容だというのが芥川のすごさだなと感じますね。 

 

おわりに

今回は芥川龍之介の「鼻」のあらすじや解釈、感想を紹介しました。

短い小説なので、手元においてその都度読み返すことができるのも「鼻」の魅力だと思います。

 

ぜひ、他の短編と一緒に読んでみてくださいね。

 こちらでは芥川龍之介のおすすめ作品を紹介しています。

どんなものがあるか、のぞいてみてくださいね!

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